社会科教師でも間違えるサッカーの歴史についてやちゃ[前編]

夏の高校野球に出場しとる岡山県代表のおかやま山陽高等学校の監督のコラムがよぉ、NumberWebに掲載されとったがいちゃ。

目次

「サッカーは植民地由来」のスポーツという認識

そこの一文によぉ、こういうのが書いてあったがいちゃね。

「イギリスが多くの植民地を持ち、その植民地でイギリス発祥のスポーツであるサッカーが根付いたから」とか言っとるちゃねえ。

スポーツに関する書籍は、定期的に借りているオラの立場からしたらよぉ、このおかやま山陽高等学校の監督さんは、えらい無茶苦茶なこと言っとらっしゃると思ったじゃ。あらゆる図書館に置いてあるスポーツの本には、歴史を書いたものが結構あったりするがやけど、この監督さんが言うような「サッカーは植民地政策によって広げられた」というのは、全然見たことないちゃね。

こういう文献がたくさんあるとよぉ、いくら社会科教諭が「サッカーは当時世界最強の大英帝国の植民地政策によって広げられた」とか言われてもよぉ、結構ずれているものであるというのは分かってくるもんやちゃ。

複数の書籍でサッカーの伝播がどういったものかと記されているがやけど、おかやま山陽高等学校の監督さんのおっしゃることは、そういった書籍とは異なることやったりするちゃね。違う説があるというなら、それはそれで主張されていったらいいかと思うがやけど、実際のところ、野球関係者の中で「サッカーは植民地のスポーツ」みたいな感じで流布しとんがやろうなあと思うちゃ。

まあ、一人の野球指導者がこの程度なら、別にそれはそれでいいがやけど、問題はスポーツメディアである「Number」がこの程度の雑な情報をよぉ、媒体名を記載した上で公にしとって大丈夫やろうか…と思うところやちゃ。編集の人とか、こういうのに気づいていたら、監督さんとコミュニケーションを取ればいいかと思うがやけど、実際ちゃんとチェックもしていないがやろうなーと感じられるちゃ。

時系列が全然合ってないちゃ

こういう高校野球で結果を出したような監督さんになると、みんな「この人のことを言っとるのは正しい」みたいによぉ、盲目的に信じがちながいど、ちゃんと時系列で見ていたら、全く違うことが分かってくるちゃね。

大英帝国が植民地を広げていった時期というのちゃ、アメリカ大陸で16世紀、アジアは17世紀ぐらいで、オセアニアやアフリカは18世紀末ぐらいになってくるちゃね。20世紀初頭になると、北米(カナダ、西インド諸島)、オセアニア、アジア(インド、スリランカ、マレーシアなど)、アフリカ(南アフリカ、ジンバブエ、スーダンなど)、中東(オマーン、シリアなど)に広げていったがいちゃ。

まあ、植民地支配に関しては、古くて16世紀ぐらいからやから、だいぶ古いと考えられるちゃね。

対するサッカーに関してやけどよぉ、これが今のような形として、競技として確立していったのがよぉ、19世紀末ぐらいであって、大英帝国が植民地を広げていった時期と照らし合わせたら、結構遅い時期になってくるちゃね。

その「フットボール」と呼ばれていたスポーツちゃ、古代から行われていたという文献があるちゃ。

大まかなルールとしては「相手の陣地にあるゴールにボールを入れる」というのがだいたい共通していたがやけど、それが「ルールは地域によって異なる」という状況やったがいちゃ。パブリックスクールごとでルールが違っていて、ケンブリッジ大は手でボールを掴んではダメで、ラグビー校は手を使ってもいい…みたいな感じやったわけやちゃ。

フットボールとか言いつつも、実際は「手でボールを奪い合っている」ようなのも多くてよぉ、統一ルールみたいのがなかったがいちゃ。それがよぉ、1800年代後半まで入るまで、そんな状態やったわけやちゃ。

しっかり分化させていったのが、1870年代になったくらいからやちゃね。今からやと150年くらい前の話ながよ。サッカーが今のような形になった時期自体が、150年前くらいやと考えたら、やはり植民地支配との関連性は薄いと言わざるを得ないちゃ。

近代フットボールが世界で様々な形に変容するちゃ

ちなみにサッカーやラグビーなどがイギリスで分化する前によぉ、フットボールの原型はよぉ、アメリカ、オーストラリア、カナダ、アイルランドなどに渡っていって、それぞれ独自のフットボールが確立されていくわけやちゃ。

アメリカなら、「アメリカンフットボール」
オーストラリアなら、「オーストラリアン・フットボール(オージールールズ)」
アイルランドなら、「ゲーリックフットボール」
カナダなら、「カナディアンフットボール」

…こんな感じで、それぞれの地域で発展していったもんやちゃ。

ちなみによぉ、オーストラリアン・フットボールが生まれたのちゃ、1850年ぐらいというのが有力で、実はイギリスでアソシエーションフットボール(サッカー)が確立するよりも20年以上も前やったがいちゃ。それを踏まえたらよぉ、植民地に普及したものちゃ、サッカー以前の「近代フットボール」であることが分かってくるちゃ。

英国連邦に限って強くないちゃね

じゃあ、サッカーというのは、どのように世界に広まっていったか…ということながいど、これはよぉ、イギリスの商人やったり、民間人やったりがよぉ、レクレーションとしてサッカーを世界中でプレーしていたものが、これが現地の人にも伝わっていったというのが大きいちゃ。

あとはよぉ、フランスとかスペインとかの宣教師が、植民地のアフリカや南米に伝えていったルートもあるちゃね。それによぉ、イギリスに留学していた南米や欧州の学生さんたちがよぉ、イギリスでサッカーを知って、それを自分の国に持ち帰っていった…というルートもあるちゃ。

どんな文献を見ていっても、根本的にはサッカーが世界に広まっていったのちゃ、植民地の支配とかはほぼ関係なくてよぉ、貿易商、技術者、留学生、宣教師などの民間人がどんどん世界に持ち込んでいったもんやちゃ。

まーおかやま山陽の監督さんが言うような「イギリスの植民地で根付いたから」なんて言ったところでよぉ、じゃあ「サッカー発祥の国ではないフランス、スペイン、ポルトガルなど植民地に広がっているのはどうしてながよ?」とか「ヨーロッパ全土に広がったのはイギリスの植民地と関係ないよね」という話になってくるがで、いろいろ矛盾が生じてくるのは明らかやちゃね。

それによぉ、大英帝国の植民地やった国々ちゃ、大まかに言うと、こんな感じやちゃね。

🇺🇸アメリカ合衆国(1775年独立)
🇨🇦カナダ
🇦🇺オーストラリア
🇳🇿ニュージーランド
🇿🇦南アフリカ
🇿🇼ジンバブエ
🇬🇭ガーナ
🇳🇬ナイジェリア
🇮🇳インド
🇵🇰パキスタン
🇸🇬シンガポール
🇭🇰香港
🇯🇲ジャマイカ
🇹🇹トリニダード・トバゴ
…などなど

こうやって見ているとよぉ、伝統的にサッカーが強い国がなかったりするちゃね。

今ではアメリカ、オーストラリア、ナイジェリア、ガーナなどはW杯常連国として知られてきているがやけど、それも1990年代ぐらいになっての話で、割とつい最近やったりするちゃ。

それにインドのようにイギリスとの繋がりが非常に強いにも関わらず、サッカーはアジアでの競争力さえも不十分なところもあるし、パキスタンやスリランカあたりになってくると「世界最弱」と言われるほどのレベルになってきたりするちゃ。

オーストラリアに関しては、完全にサッカーが後発のスポーツやし、元々は「フットボール=オーストラリアンフットボール」というのが根強い地域やったわけやしのう。

そう考えたらよぉ、「イギリスが植民地として統治していた地域こそサッカーが弱い」というのが分かってくるちゃね。

ちょっこし長くなったがで、今回はここまでやけど、後編のテーマとしては「イギリス発祥のスポーツで植民地に根付いたスポーツは何か?」ということやちゃ。楽しみにせられ。

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